青年モラトリアムの読書譚

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読書感想|ジュール・ヴェルヌ(波多野完治訳)『十五少年漂流記』新潮文庫

 

十五少年漂流記 (新潮文庫)

十五少年漂流記 (新潮文庫)

 

内容紹介(Amazon商品説明より)

14歳のゴードンを頭に15人の少年たちだけを乗せたスクーナー船が、ふとしたことから荒海に出てしまった。大嵐にもまれたすえ、船は、とある岸辺に座礁。島か大陸の一部かもわからないこの土地で、彼らは生きるためにさまざまな工夫を重ね、持ち前の知恵と勇気と好奇心とを使って、スリルに満ちた生活を繰りひろげる……。“SFの祖"ジュール・ヴェルヌによる冒険小説の完訳決定版。

 

 とびっきり元気がでる本というのがある。だいだいそういうのは読んでいてワクワクする。そういう本である。そうでなくてはならない。

 読む前も愉しいし、読んでいる最中も愉しいし、読んだ後も愉しい、という塩梅で、兎にも角にも徹頭徹尾愉しい本でなくてはならない。ヴェルヌの十五少年漂流記はそんな愉しい本の一つだ。

 そもそも十五少年漂流記というタイトルがよい。分かりやすい。十五人の少年が漂流する冒険物語なのだなと一目で察しが付くだろう。じっさいその通りで、看板に偽りはなく、この本ではほぼ少年たちしかでてこない。彼らが漂着した未知の土地でサバイバルを繰り広げる。さしものTOKIOも顔負けのサバイバルぶりである。

 

「フヮンが、穴の一つに花を突っ込んでクンクン匂いをかいでいたが、そのうち、爪で土をかきだした。穴は、兎の巣らしかった。

 ドノバンは、すぐさま肩の鉄砲をはずした。だが、ゴードンが引き止めた。

 『弾丸を節約しよう』

 『残念だな、うまい朝飯ができるのに』

 その時、ウィルコックスが口を開いた。

 『ドノバン、僕に任せてくれ、一発の弾丸も使わずに捕らえてみせる』

 『どうするんだ』

 『煙でいぶし出すのさ』

 ウィルコックスは、枯草の束を作ると穴に詰めた。そして、火を放った。煙が立ち上り出してから、一分もかからなかった。穴からは、兎が次々に飛び出して来た。待ち構えていたサービスとウェッブが、手斧を振り下ろした。フヮンも兎にとびかかった。収穫は全部で十二羽だ」(pp.129-130)

 

 どうだろう。すごくサバイバルじゃないか―。TOKIOも手斧で兎を仕留めはしまい。彼らは兎の他にも、ペンギンとか海亀とかアザラシとか駝鳥(だちょう)とか、なんでも捌(さば)いてゆく。なかなか現代人が手斧で動物をしとめるのは度胸がいると思うが、むしろ子供の方がそういうことを平気でできるのかもしれない。

 本書はサバイバル冒険小説であると同時に、子供たちの成長物語でもある。いろいろな苦難を一致団結して乗り越えてゆく。そんなお話。喧嘩もするし、失敗もする。でもきっちり和解できるし、みんなで失敗を取り返す。和解するふりだけじゃなくって、きっちり仲良くなれる。きちんと喧嘩するから仲良くなれるのだろう。ブリアンとドノバンもちゃんとぶつかり合う。だから仲良くなれるのだ。中途半端な面従腹背では仲良くはなれないし、互いを知ることはできない。このあたり、陰険な大人よりもすっきりしていてぼくは好きだ。

 そもそもヴェルヌの書く小説には陰険な人物というのがあんまりいないらしい。以下、訳者による解説から引用する。

 

「ヴェルヌの小説には、あまり悪人がでてきません。科学者でエキセントリックな人はありますが、それもけっきょく、科学にこりすぎて人類全体を忘れた人です。つまり、ある目的にむかって、ひたむきにすすむ、男性的な人物が主人公であって、いんけんな人や、弱気な人はいないのです。(中略)ヴェルヌの小説は、人間の積極面、健康面をえがいた楽天小説なのです」(p.276)*原文ママ、中略はブログ管理人。

 

 こと本書では、人望厚い主人公格のブリアンに嫉妬する少年や、とある事情から弱気になるブリアンの弟も登場するが、いろんな出来事を通して成長してゆく。そういう意味では「陰険さ」は少ないのかもしれない。それは本書に登場する「大人」の少なさとも関係するのかもしれない。いや、別に大人=陰険というわけではない。これは良識派を目指している大人の一人として強調しておきたいところ。

 でもヴェルヌも、どっちかというと、大人のドロドロした汚い部分はあんまり好きになれないタイプだったんじゃないかと、そう思う。以下、訳者による解説の引用。

 

「ジュールは小さいときから冒険好きで、十歳のとき、本当に海にのりだそうと思って、家出をしました。すぐつかまって、大こごとをくいました。このとき、彼は母親にいったということです。

『これからはアタマの中だけで空想の冒険をします』と。

 本当にそうでした。彼は一生涯に約六十冊ほどの小説をかきましたが、それはほとんどが、冒険の旅行のおはなしでした。その旅行は地球のまんなかから、月の世界、北極、南極のあらゆるところにわたっています」(pp.272-273)*原文ママ

 

 子供心を忘れなかったヴェルヌは、この物語をある程度、児童向けとして意識したのだろう。けれどそれは反射的効果として大人に向けたメッセージともなるはずだ。だって大人が子供に児童書を買い与えるのだから。

 ぼくら大人はここから如何なるメッセージを汲み取るべきか。

 

「ブリアンは、ジェンキンスやドールたちがゴードンに叱られているのを見て、何度となくかばってやった。幼い少年たちには、ブリアンが大統領だったらという気持ちが芽生えていた。

そんな小さなことで―と思うかもしれない。だが、少年たちの世界は社会の縮図である。人間は、子供の時から、一人前の大人のように扱ってもらいたいものなのだ」(pp.165-166)

 

 とかく大人は子供を舐めてかかるものだ。でも子供はちゃんと考えている。これは大人が思っている以上に。子供の力を侮ってはいけない。もちろん子供は腕力では大人にはかなわない。

 

「スルギ号の甲板には、四人の少年の姿があった。十四歳が一人、十三歳が二人、あとの一人は十二歳になる黒人の少年である。

少年たちは、いま、全力を出して、舵輪を握り、船を正しい進路に向けるために戦っているのだ。だが、舵輪は、少年たちのか弱い力では、いくら押さえつけても、元にもどってしまう」(p.6)

 

 これは仕方ない。じゃあ、大人は全てにおいて子供に勝っていると言えるのか。彼らの持つすべてをぼくたちが持っていると言いきれるのか。そうだ、と言いきるには、いささか心もとなくはないか。

 

「さて、この書『十五少年漂流記』(二カ年間の夏休み)から引き出される教訓は、簡単に言えば次のようになる。

 もちろん、今後、いかなる小中学生も、このような夏休みを送ることはあり得ない。だがなんであれ困難に直面した時に、勤勉、勇気、思慮、熱心の四つがあれば、少年たちでも必ずそれに打ち勝つことができるということだ」(p.271)*太字はブログ管理人。

 

 この一言にヴェルヌのメッセージが凝縮されている。このメッセージの宛先は少年たちばかりではない。ぼくたち大人にこそ向けられている。勤勉、勇気、思慮、熱心をぼくたちはちゃんとまだ持っているか。そうヴェルヌは問うている。そんなふうに思えてならない。冒険物語にこうも元気づけられるというのは、少年たちが持っている何かをぼくたちが喪失したからなのだろうか―。

 多忙さの余り、ワクワクする気持ちを久しく忘れてしまっている人にこそ薦めたい一冊―、十五少年漂流記という冒険譚である。

 メルシー・ブォク!ムシュー・ヴェルヌ。