青年モラトリアムの読書譚

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読書感想|池上彰『学び続ける力』講談社現代新書

 

学び続ける力 (講談社現代新書)

学び続ける力 (講談社現代新書)

 

 

内容紹介

池上さんの等身大の学びと生き方論

初めて語った、父の背中に学んだこと。記者時代、コツコツ独学したこと。そして、いま大学で一般教養を教える立場になって考えること。
いまの時代に自分らしく生きるための「学び」について考えるエッセイ。

 

 ぼくは池上彰さんが結構好きだ。ジェントルマン然とした柔らかい物腰にも好印象が持てる。なによりその巧みな話術である。テレビで拝見する池上さんは常に分かりやすい話をする。

 政治や宗教や歴史の話を分かりやすくするのは結構大変な作業である。分かりやすくすること自体は難しくない。最も難しいのは「正確さ」を維持したままで分かりやすく話すということなのである。分かりやすくしようと思うとどうしても事態の重大性を矮小化してしまいがちである。その点で、池上さんは「正確さ」と「分かりやすさ」の調停のさじ加減が絶妙なのだ。

 

「私の著書は、いろいろな世代向けがありますが、たとえば『そうだったのか!現代史』(集英社)のシリーズは、高校生の読者を念頭に書いています。今の高校生は東西冷戦も、ソビエト連邦も、ベルリンの壁も実感として分かりません。『高校生には何が分からないのか』と考えながら、そんな彼らに向けて、『実はこんなことがあったんだよ』と語りかけるつもりでいます。

 高校生でもわかるように書けば、それ以外の年代の人も読んでくれます。

 ただし、『高校生向けだからレベルを落とす』ということはありえません。高校生には相当の理解力があります。表現はやさしく、扱う内容は高度なものに。これがポイントです」(pp.140-141) 

 

 言うは易し行うは難し。しかし彼はこれを有言実行するのである。ほんとうに凄い。心から尊敬している。彼の年齢に達するまでにぼくは池上さんの水準に達せられるのだろうか。しかも彼は著書の端々から感じられるのだが、優しさ厳しさを併せ持つ人格者である。自身と彼との間に開いた距離を目の当たりにして絶望的な気分になる―。

 しかし絶望してばかりもいられない。池上さんのような「立派な社会人」になるためには何が必要なのか。なぜあんなにわかりやすい話にできるのか。そうした諸々の技術をなんとか盗みたくって池上さんの本をいろいろ読んでいる。本ブログでも言及した『書く力』(朝日新書をはじめ、『分かりやすく〈伝える〉技術』(講談社現代新書『相手に「伝わる」話し方』(講談社現代新書などと読み進めて本書に至った。本書で四冊目である。

 

わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)

わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)

 

 

 

相手に「伝わる」話し方 (講談社現代新書)

相手に「伝わる」話し方 (講談社現代新書)

 

 

  これらの本を読んでみて、朧気ながらも池上さんの分かりやすさの秘訣を垣間見た気がする。ずばり、徹底して相手の気持ちになって考えるということ。これが彼の秘訣ではないか。いろいろ読んでいてぼくはそういう結論にとりあえず達した。他者の視点に立脚して考える謙虚さがどうも池上さんの対人観の根底にあるのではないか。

 池上さんの言葉はどれも単純でいて含蓄深くもある。肩書を自身の力とはき違えている自慢好きな大人たちの言葉と違い、教養とそれに裏打ちされた経験に支えられた言葉だからこそ、説得力がある。

 

「NHK記者時代、取材で情報が取れても、これは、本当に自分の力で取れた情報なのか、それともNHKの信用で取れた情報ばかりでした。ごくたまに、『君だから話をしてあげる』と言われると、『これは自分の力だ』と喜んだものです。でも、そこまでの自信を得られたのは、はじめにNHKの記者として知りあってからです。これも自分の力ではありません。

 では、名刺の力がなくても通用する、本当の力をどうやったら身に付けられるのか。これを自問自答しながら仕事をするようになりました。

 (中略)名刺がなくても通用する人間になる。そのためには勉強です。」(pp.15-16)*中略はブログ管理人

 

 NHKなんていうと、世間的には就職先としてはエリートである。連中の中には、表向きの謙虚さとは裏腹に、偏差値や肩書で他人を格付けする傲岸不遜な連中も少なくないであろう。そういう俗物の中にあって、こういう謙虚な姿勢を貫く池上さんの人の良さは率直に見習いたいと思える。彼の下でその人柄に触れて学んでいる東工大の学生さんが羨ましい。

 それにしても、説教されるならば、池上さんのような高潔な人物からされたいものだ。例えば、結構耳の痛い話も彼の著書の中には多い。

 

SMAP中居正広さんも聴き上手です。

 中居くん(つい、君づけしてしまいます)は私が何か言うと、それについて自分の知識を総動員して、『つまりこういうことですか』と問いかけてきたり、私の話の展開に合わせようとしてくれます。そこがとても好感を与えます。知識を総動員して話を展開する、その性格の良さは素敵だと思いますし、こちらもついつい丁寧にしゃべってしまいます。

 気のきいたことを差し挟んだりとか、話をまとめたりとか、話を発展させようとして必死になるよりは、相手の話を面白がって聴くというのが、まずは一番大事です。

 中居くんのように、相手の話に『つまり、これはこういうことですよね』と返すのは、一歩間違えるとイヤミになりかねません。そう思わせないのは、彼のセンスと人柄だと思います。

 (中略)自分はまだ知らないということを知っている謙虚さは、その人の印象を大きく左右します。『おれは何でも知ってるんだ!』と胸を張っている人も時々いますが、そういう態度から受ける印象は良くないものです」(pp.117-118)*中略はブログ管理人

 

 本書の主題は学び続ける力。しかし中身は、どちらかというと池上さんの教養論という様相である。「教養人とは何か」は、ぼくの中心的な関心事の一つでもあるので愉しく読んでいたが、「どのように学び続けるのか」という疑問に対する池上流の応答を期待して本書を手に取った一読者としてはいささか肩透かしを食らった気分ではある。近日、社会人となるぼくにとっては、「どのように学び続けるのか」というのは死活的な問題である。

 だってそうだろう。日本では、教養人=胡散臭い、あるいは教養人=クイズ番組のインテリなんとか軍団ぐらいの考えが支配的なのだから。金儲けと出世の役に立たないことはクズ同然の扱いであるのだから―、というのは言い過ぎかもしれないが、少なくともそういう時代錯誤的な保守性を後生大事にしている社会なのである。そんな中でどうやって学び続けるのか。

 一方で、若者も若者で、おやじに気に入られようと必死である。かかる保守性を「良いか、悪いか」など気にせずに思考停止的に継承する。池上さんもかかる日本社会の特殊性を指摘されている。

 尚、池上さんは当時、警察の取材を担当する記者であった。いわゆるサツ回りというやつだ。

 

「ただ、たまに経済に関する本を読んでいるところを社会部のデスク(記者の世界の管理職を指す言葉)に見つかったことがあります。

 このデスクには、その後、『警視庁の記者がなんで寸分を惜しんで経済本を読んでいるんだろう、こいつおかしいと思ったぞ』と言われました。

 もしあなたが、社会人一年生だったり、これから社会人になるのであれば、この特殊な雰囲気のことは知っておいたほうがいいですね。日本の企業社会は、その企業への社員の忠誠を求めます。会社のために人生を賭けること、というタイプの社員が好まれます。会社が終われば同僚や先輩と飲みに行く。会社の上司の悪口や噂話で盛り上がり、連帯感を強める。こんな風習がまだ残っています。そんな中で、自分を高めるために勉強している社員は警戒されがちです。『いずれ会社を飛び出していくのではないか』と思われるからです」(p.22)

 

 『進撃の巨人』ではないが、「心臓を捧げよ!」というわけである。しかし捧げるべき心臓の名宛て人は「滅びゆく人類」なんて言う崇高なものではなく「唯名論的な実態である一組織」なのだが―。

 本書でぼくが最も知りたかったのは、そういう保守的な企業文化の中にあっても「なぜ学び続けること」ができたのか。そこんところを詳しく知りたくて本書を手にしたのだけれど、具体的な方法論が示されなかったのは少々残念である。

 但し、本書はそれを補って余りある「プロとしての教養論」が展開されており一読に値する。本書は、学ぶことを諦めたくない大人たちへの激励の言葉で満ちている。くだんの引用は以下のように続く。

 

「そんなふうに見られると、職場の中で浮いたり、居心地が悪くなったりしますから要注意。そういう企業風土でない会社を選んで就職するのも一つの手です。会社勤めも、あなたの人生の一部。人生のすべてではないのです。すべてを会社に捧げるのではなく、あなた自身を高め、成長させる時間を確保しましょう。

 幸いなことに私の場合、記者というのは基本的に一匹狼。みんなとつるんで何かをすることがあまりないので、こっそり勉強する時間を作れたという事情もありました」(pp.23-24)