青年モラトリアムの読書譚

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読書感想|井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社学術文庫

 

生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866)

生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866)

 

 

内容(「BOOK」データベースより)

栄華の都コンスタンティノープル、イコンに彩られた聖ソフィア教会…。興亡を繰り返すヨーロッパとアジアの境界、「文明の十字路」にあって、帝国はなぜ一千年以上も存続しえたのか。キリスト教と「偉大なローマ」の理念を守る一方、皇帝・貴族・知識人は変化にどう対応したか。ローマ皇帝の改宗から帝都陥落まで、「奇跡の一千年」を活写する。

 

 ぼくの北京滞在中の二年目のルームメイトはトルコ人修士生であった。同い齢で専攻も同じ法学だったので、共通の話題にも事欠かなかった。気の置けない友人である。彼はしばしばトルコやパキスタンの友人を部屋に招いてはあれこれ議論を繰り広げていた。語学がいまいちのぼくも、迷惑とは思いながらも時々彼らの話に参加した。知的好奇心は容易には抑えられない。コーヒーを片手に何時間でも議論に耽る彼らの行動規範や生活様式の中に、ぼくは自身と近しいものを感じ親近感を覚えた。彼もまたぼくのことをそういうふうに了解していたのだと思う。そういうわけでぼくらは存外に馬が合った。彼はインテリで英語や中国語などの外国語も堪能であったが、歴史にも造詣が深かった。ぼくたちが初めて出逢った時もエルトゥールル号事件の話で盛り上がったものである。

 どういう脈絡だったかは忘れてしまったが、その日も何かの拍子にトルコの歴史が話題になった。具体的にはオスマン帝国のメフメト二世の話である。ぼくも塩野七海の『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫)とか、あの時代の歴史物は日本で読み耽っていたので、あの時代の雰囲気はなんとなく知っている。彼の話を愉しく聞いていた。そのとき、ふとビザンツ帝国の名前が頭に浮かんだ。周知の通り、ビザンツ帝国ギリシャ正教を国家宗教として奉じるローマ帝国の東の後裔国家である。勢力圏こそオスマン帝国と被るが、その政治構造や支配民族などの性質や理念は大きく異なることは言を俟たない。彼らがビザンツ帝国をどう受けとめているのか。そこがふと気になったのである。

 

コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)

コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)

 

 

 正直に白状すると、ぼくはそのとき彼が何と返答したのか覚えていない。というのも、質問に対する答えよりも彼の話した冗談の方がいっそう気に入ったからだと思う。

 ぼくは彼に中国語で“土耳其人对Byzantine帝国有啥看法呢?你们从那个帝国继承了啥遗产呢?トルコ人ビザンツ帝国をどう思っているのか?あの帝国からどういう遺産を受け継いだのか?)”と問うた。ぼくはそのときビザンツ帝国を中国語で何というか知らないので、その部分は英単語であるByzantineで誤魔化した。彼はひとしきり何か答えた後で、思いだしたように、そういえば中国の友人にも同じ質問をされたことがあると言った。けれどそのとき中国の友人は当然母語である中国語の“拜占庭”という単語を使ったのであるが、ルームメイトの彼は最初何を聞かれているのかさっぱり意味不明だったと冗談っぽく語った。いくら中国語に堪能とはいえ固有名詞はなかなか難しい。中国語の“拜占庭”は音読すると英語の“Byzantine(bízntìːn)”とはちょっと違う感じの音になる。「拜占庭って何だよ。Byzantineはどこに行った」とルームメイトがおどけながら言った。中国語の妙を感じてぼくらは笑い合った。

 その一件で「ビザンツ」という名を口にして以来、ぼくの頭の中でビザンツ帝国が妙に気になっていたのである。ビザンツ帝国のあれこれに関する疑問符が脳内で増殖する中で、帰国後、今回ようやくビザンツ帝国に関する本を読了するに至った。

 本書は教科書的な記述を排しているので、小説でも読んでいるかのような気軽さでテンポよく読める。物語としても面白い。歴代のビザンツ皇帝の個性の豊かさも面白い。賢君あり暴君ありなのは、本家本元のローマ帝国の皇帝たちと変わらず、宮中内の権力闘争はもはやお家芸であるとさえ思わされる。

 しかし、賢君あり暴君ありとは単純に整理できないのが歴史の面白いところ。ある人物が賢君か暴君かという人物評は難しいというのが世の常である。例えば、帝国の全盛期を築いた皇帝バシレイオス二世と、帝国末期の文人皇帝マヌエル二世をどう評価するのか。これは好例であろう。

 

「国家の盛衰や経済の繁栄と文化の発展とは必ずしも一致しないということであろうか。学問・学者をバカにし、戦争に明け暮れて大帝国を作り上げたバシレイオス二世と、滅亡寸前の帝国を切り盛りしながら、みずからも文人として活動したマヌエル二世とは、実に対照的な皇帝であった」(p.257)

 

 この一文は、ある人物評の容易ならざる一面を示している。バシレイオス二世とは、ユスティニアヌス帝など比べると、あまり聞き慣れない名前だと思われるが、ビザンツ帝国史では極めて重要な人物である。

 

「歴代皇帝のなかでもっとも長くその地位にあったのがバシレイオス二世である。(中略)彼は他人の忠告を聞かず、何もかも自分で決めた、それも書かれた法に従ってではなく、自分で思い付くままに決めた、と記している。ビザンティン専制君主を代表する皇帝である。

 (中略)彼はまた文化や学問にも興味がなかった。多くの皇帝が文人としても名を残しているのに、彼は自分自身学問に関心がないだけでなく、およそ学者をバカにしていた。

 強大な帝国を作ること、彼の関心はすべてそこにあった。先立つ二代の軍人皇帝の事業を受け継ぎ、発展させることが彼の目標であった。彼は見事にそれをやり遂げた」(pp.178-179)*中略はブログ管理人

 

 彼の治世はビザンツ帝国史が誇る繁栄の時代であった。帝国の版図も広大である。しかし、一方で非情な残酷さでも知られ、その蛮行から「ブルガリア人殺し」という二つ名を与えられている。

 

「バシレイオスに『ブルガリア人殺し』というあだ名がつけられたのは、この戦いの後始末をめぐってであった。皇帝は捕虜としたブルガリア兵を百人ずつのグループに分け、各グループのうち九十九人の両目をくりぬき、残りの一人だけは片目を残して道案内役をさせて、ブルガリア王のもとへ送り返したのである。ぞろぞろやってくる盲人の列をみて王は驚きのあまり倒れ、二日後に死んでしまったという。まもなくブルガリアは完全にビザンティン帝国に併合される」(pp.179-180)

 

 何とも身の毛もよだつ蛮行ではないか。この逸話は有名であるので、本書を読む前から知ってはいたが、何度聞いても胸くそ悪い話である。

 一方でマヌエル二世とは、ビザンツ帝国が死に体同然である末期のパラエオロゴス朝ビザンツ帝国の皇帝である。文人皇帝として名高い。彼の自身が一流の文人で、その統治下はパラエオロゴス朝ルネサンスと呼ばれるビザンティン文化の花が開いた時代でもあった。本書でも高い評価を得ている。

 

「マヌエル二世は末期のビザンティン帝国を象徴する皇帝であった。一族の権力争いに苦しみながらも、帝国を守るために、彼は一方においてトルコのスルタンに忠誠を誓い、他方では援助を求めて、イタリアからフランス、イングランドにまで旅をした。難破寸前の帝国の舵取りに生涯をささげた皇帝と言ってもよいだろう。ある歴史家は、『良き時代に生まれていたならば、さぞかし名君とうたわれたであろう』と、マヌエルを惜しんでいる」(pp.253-254)

 

 バシレイオス二世とマヌエル二世。どちらをより高く評価するか。ちょっと敷衍するならば、さしずめバシレイオス二世が「体育会出身のパワー系上司」で、マヌエル二世が「文化系出身のインテリ系上司」という感じなのだろうか。

 ぼくはブルガリア人のように目玉をくりぬかれるのは御免なので、マヌエル二世の統治を評価したい。とは言うものの、そう安直にバシレイオス二世の帝国統治をネガティブに評価するのは早計であるとも思える―。やはりパワー系上司の方が状況を打破するバイタリティには軍配が上がるであろう。ここは冷静に評価すべきだ。

 ぼくはこういう飛躍的な発想の転換も歴史の楽しみ方の一つであると思っている。歴史は繰り返す。というのはマルクスであるが、それが悲劇にせよ喜劇にせよ、事態は形を変えて繰り返すのであれば、歴史はそれを紐解いて現状を整理する有用性を湛えていると思うのだ。

 歴史というのは、現代の人にとって多くの示唆を含むものである。ドイツ帝国の名高い鉄血宰相ビスマルクの言だったと思うが、賢者は歴史に学び愚者は経験に頼るというのがある。歴史から何を汲み取れるのかというのが賢者の見識の源泉であることに疑いはないが、その源泉から何らかの知見を汲み取るためには、歴史を迂遠な他人事と考えるのではなく、如何に自身と直結する事柄と捉えられるかが鍵となる。要するに想像力が求められる。歴史に学ぶ賢者たり得るか否かは、個人の素質であると思うが、その素質とは即ち想像力の有無ではないか。そう思う。

 そうは言っても著者による既述の巧拙も大きくかかわるであろう。その点において、初学者をも魅せる本書は、一級のビザンツ帝国史入門であるとぼくは思う。

 

 そうそう。今併読している本のうち一冊は、英国の歴史家エドワード・ギボンのローマ帝国衰亡史であるが、本書の知見はギボンを読むうえでも活かされると思う。実際、本書の中でディオクレティアヌス帝に言及する際に、著者はギボンの歴史記述に触れている。ぼくがちょうど今併読している『ローマ帝国衰亡史〈2〉』(ちくま学術文庫)からの引用もみつけた。本書中において意外な脈絡でギボンと遭遇するに至り、改めて知識人共同体内の共通言語としての古典の偉大さを感じた次第である。